音喜多駿を北区から追い出した日

昨日は、東京青年会議所北区委員会(北区JC)の卒業式が執り行われました。JCというのは、40歳の12月で強制退会(卒業)となるため、盛大に送り出す風習があります。今回はたまたまですが、卒業生が音喜多駿君※一名だけということもあり、実質音喜多君まつりでした。決して昨今騒がれている政治パーティではありません。今回は会場選び、コンテンツ作り、2本分の動画作成、送辞などを引き受けさせて頂き、つまるところ、割と私の意向が強く出た式となりました。
(※JC内では現役メンバーに対して男女年齢立場に関わらず、公式上では君づけする風習があります。今回の記事に限り、題名送辞部分以外は君で統一します)

この式は、公式ページSNS上では写真の一部を公開しておりますが、基本的にはJCの現役メンバー、OBOGしかご招待できない半クローズドなイベントです。その中で特に誰をご招待するかと考えたとき、愛知県の(一社)西尾青年会議所OB奈良さんを思い浮かべました。奈良さんは、音喜多君の盟友の一人であり、東日本大震災の被災地で、子ども達に笑顔を届けるために、絵本に出てくるような巨大カステラづくりしたボランティア団体の元代表でもあります。音喜多君も私もこの団体メンバーであり、何度も東北に行きましたし、音喜多君や私自身が世の中を本気でよくするにはどうすれば良いかと真剣に考えるひとつのきっかけでもあります。そんな訳で、政治的原点を思い出す意味でも最高だと思い、奈良さんをお呼びして、JCのメンバー+さいとう区議みんなで巨大カステラつくりました。
(※さいとう区議はJCメンバーではないけど、祝いたい気持ちはあるとのことで、式典ではなく手伝いに参加)

続いて、2本のビデオ。

1本目のビデオについては、ビデオメッセージ。誰に出てもらおうか様々議論して、JC内のフリーディスカッションでは選挙の元ライバル候補、JC内の偉い人(維新ではない党の大物議員の息子)など様々な意見があがりましたが、さすがに自重しました。無難な線で人選しましたが、音喜多君からは人選が謎とのコメントを頂きました。多少の配慮はあるにせよ、自由に意見を言えるところはJCの良いところであると思います。

また2本目は写真を音楽に合わせて流す形の思い出動画を作成し、送辞とセットにしました。送辞の文書について、この場で、一部改変したものを公開します。



送辞
音喜多さん、ご卒業おめでとうございます。音喜多さんは、新宿区や千代田区を中心とした東京1区の支部長になったとのことで、JCの卒業であると同時に、実質的に北区からの卒業を意識して、この度の式を準備させて頂きました。

さて、私と音喜多さんとの出会いは、音喜多さんがJCに入る前、さらには政治家になる前に遡ります。私の大学の友人が音喜多さんのブログをSNS上でたまたまシェアしていました。クリスマスやバレンタインでモテたいが故に愛をせびって回るなどお茶目な活動をしているサラリーマンのブログでした。私は学生時代より数年間、そのブログを読み続けておりました。

2011年、東日本大震災大震災が起こりました。東北出身の私としては、本当にショッキングな災害でした。居ても立っても居られず、私個人でも仲間を集めて宮城県南三陸町や石巻市などに駆けつけ、瓦礫撤去などを手伝いました。故郷のすぐそばで、絶望の光景がそこにありました。数日間、瓦礫や泥を運びましたけど、人間というのは本当に無力だというのを思い知りました。

そんなある日、ブログより音喜多さん及び奈良さんが復興支援団体「非営利団体ふらいパンダ」を立ち上げると知りました。私は、それに興味を持ち、団体に参加することとなりました。これが、私と音喜多さんとの出会いでした。被災地の現場での音喜多さんの動きは、本当に凄かったです。自ら率先して動きながら、指揮能力、情報収集能力、情報拡散能力、どれをとっても一級品でした。現場に行き、自分で見て聞いて考えて行動する姿がそこにありました。私は、本当に感謝しておりますし、本質的に音喜多さんを信頼しているのはそこにあります。

そんな音喜多さんが、ある日、2013年の都議会議員選挙に出ると言い出しました。このころの私は中国に駐在していたので、最初の選挙は少ししか手伝えませんでしたが、奇跡的な勝利に高揚したのを覚えております。

その後、日本に本帰国し、北区に住み始めた私は、次の選挙なり、平時の十条ごみ拾い活動なり、区長選なり、参議院選なり、お手伝いさせていただきました。少なくとも去年の夏ごろまでは私は政治家になるつもりはなかったのですが、そういったご縁とご支援で今度は逆に、私も区議になっておりました。

JCについて、音喜多さんは2014年に入会されました。私はJCに入会してまだ1年たった程度なので、JCメンバーとしての音喜多さんとの思い出は、正直なところ、地区事業の夜警を一緒に過ごしたぐらいしかありません。ただ、幸いなことにブロガー議員として、JCに対する思い入れが綴られており、写真も沢山あったので、どのように活動していたのかは容易に想像がつきます。音喜多さんのJC活動に関するコメントについては、先ほどの動画にまとめてさせて頂きました。また見たくなった際は、秘書にシェアをしておきましたので、見せてもらってください。

最後に2019年7月の参議院選で、私がFacebookで、おときた駿への投票を呼び掛けた際の文章をほぼそのまま読み上げます。
「厳しい目線でみると、チャラい、上昇志向が強すぎる、何となくいけ好かないといった印象をお持ちの方もいると思いますし、私もそれらの意見にある程度うなずけます。ただ、それ以上に、努力の人なのです。彼は何事においてもとことんやるストイックさで、自ら先頭に立ち、人の倍ぐらいは行動します。個人的に更に凄いと思うのは、そういうタイプの人は大抵燃え尽きた後に逃げてしまいますが、彼の場合は継続力があり、最後まで責任を持とうとするのです。少なくとも、彼は学生時代からブログやカンフーは続けてますし、ボランティアにおいてもきちんとけじめのつけたやり方を貫いていました。
以上が私が自分の目で見て、聞いて、考えたことです。努力が必ずしも報われるべきとは思わないけど、要領の良い奴だけがうまくいく世の中を私は変えたいのです。頭は良いし、もっと合理的で賢い身の振り方はあったはずなのに、いばらの道で努力を続ける音喜多駿にどうか支援をお願いできないでしょうか?政策的議論の正しさは正解がないので別ですが、こうして人に推薦する以上、万が一、彼が人として大きく道を踏み外したとき全力でその地位を叩き潰すことを誓います。」

当時は党人ではなく、一介のボランティアであり、ただの仲間であったことをご理解頂ければ幸いです。数々の立場をわきまえない暴言、大変失礼いたしました。
北区の為、東京の為、東北の為、そして日本の為に活動して下さり、ありがとうございます。
「若者は成長したいんだ、お腹いっぱい食べたいんだ」と街頭で叫んでくださり、ありがとうございます。私に世界はこんなに面白いのだ、ポジティブチェンジができるんだと思わせてくださり、ありがとうございます。改めまして、JCご卒業おめでとうございます。

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