当選してからの1年間① (落選者の亡霊、最下位当選者への1票)

1年前の4月24日、私の当確が出た日です。私の場合は開票日その日のうちには出ず、出たのは翌朝4時でした。1936票の最下位当選でした。次点とは11票差でした。私の36歳の後半はほぼそこから始まりました。

多くの候補者であれば当落に関わらず、投開票日の翌朝は駅に立って挨拶をするのが、割と業界的な慣例となっています。眠い目をこすりながら、朝の駅頭に向かいます。向かう途中で、落選した候補者に出くわしました。朗らかなというか生気の抜けたというかなんとも言えない表情をしていました。お互いにねぎらい合って、駅の東口と西口という風にお互いに離れたところで駅頭を開始しました。その数時間後、当選証書を受け取りに役所に行き、SNS等で関係者に報告をし、選挙事務所の撤退に着手するなどあっという間に時間が過ぎ去っていくのでした。

その後の議会活動、政治活動はX(twitter)等で書いてのとおりではあります。既にどこかで書いた内容はこの場では割愛し、今まで公表してこなかったエピソードみたいなことを書いていこうと思います。

【落選者の亡霊】
選挙の数日後、とある落選候補者より「党派も政治的なスタンスにも違いはあるかもしれませんが、安達さんは北区議会に新しい風を送り込んで下さると確信しています。」とSNSでメッセージが届きました。また、別の落選者とは所属している地域団体の会合で何度も会う機会があり、実質的に今でも弟分のように可愛がって頂いております。さらに別の落選者とも何度か一緒に酒を飲む機会もありました。その他数名の落選者も未だに地域活動しており、時々ばったり会うと意外と向こうから話しかけてくることも珍しくありません。私の周りには落選者の亡霊で溢れています。彼らは意外にもフレンドリーに接してきます。でも、私が怠けた態度をとったとき、彼らは一般区民よりも容赦なく襲い掛かってくると思います。彼らに配慮して自分の正義をねじり曲げるつもりは毛頭ありませんが、「コイツに負けたのなら今回は仕方ない」と全力で鎮魂というか、普通の区議よりも頑張る必要があるのでしょう。

【最下位当選者への1票】
最下位当選、次点とは11票差。この状態で当選すると、1票の重さは、上位当選者とは比になりません。おそらくですが、私は有権者からは「俺の一票がなければ、あんたは落ちていた」と言われることが、他の当選者よりも多いのではないかと思います。そういうことを言われる場合、中々対応が難しい陳情とセットになることも珍しくはありません。この場合、本当に入れて頂いたのかは投票の秘密もありますので、誰にも証明できないですし、考える必要はないと思っています。そもそも区民の99%以上の人は私に票を入れていない訳ですので、そこで区別すると、何もできなくなってしまうのです。どんな方の要望であれ、自分の正義や良識に則りつつ、規則の範囲内で可能な限り善処するようにしています。逆にいうと、たとえ熱心な支持者からのお訴えであっても、そのお訴えにいくら私が共感できても、規則の範囲内ででしか、対応できないものはできないのです。支持者に対してリップサービスの上手くない書き方ではありますが、それが公人としてのあるべき姿なのだと思います。ただ、そうは言っても、自分もしくは自分の公約に賛同して票を投じてくださった人のことを考えると、公約達成に向けて努力しなければならないとも思うのです。

少し話はずれますが、そういう観点からいうと、維新の立候補者が演説でよく「組織団体からの寄付は受け付けません、しがらみのない政治を目指します」と言うのは、理にかなっていると思うことがあります。少なくとも、お金という形で支援されると、明確な形で縛られてしまい、己の正義の形に何らかの影響が出てしまいます。組織団体からのお訴えもよく聞きますけど、縛られていないが故に、フラットな目線でこのお訴えは公共の為になっているのか吟味でき、取捨選択した上で、議場でご意見を代弁させて頂くことができるのです。

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