- 2025-10-23
- 雑記

10月で39歳になりました。数々の個別のメッセージ、ありがとうございます。せっかくの節目なので、普段何考えて生きているかということを書いていきたいと思います。
誕生日の前日に、地域団体の関係でとある講演会に参加しまして、その中でワークショップみたいな時間がありました。その内容としては「10年後の自分の未来日記を書こう」というもの。3分間しか時間がなかったので深くは書けませんでしたけど、私の書いたのは次のとおり。
“原稿の執筆に行き詰った。リフレッシュとブレストも兼ねて、妻とディベートでもしてみる。テーマは、子どもの進路だ。妻は私立が良いと言うのだけど、私は赤岩中、良いと思うんだよな。結局、まだ時間的猶予はあるということで、今回は結論は出なかったけど。”
話は変わり、1年半後ならどうしているだろうとも、その日考えました。
直近の国政では、所属政党である維新が、党が瓦解するかもしれないリスクを取った決断をしました。少なくとも1年半後までの任期4年間は、党が先に崩壊しない限りは、維新でいるつもりでいます。私に投票した人1936人のうち、少なく見積もっても400人は私が維新だから入れた人たちだからです。その400票がなければ私は落ちていました。1年半後は、維新として再当選目指して超頑張る、政治家引退、自殺など含め、様々な選択肢があると思っています。
今のところ、再出馬のつもりではありますし、仮に出馬しないことを本気で想定していても現段階で出馬しないとは絶対に言いません。再生の道の致命的な弱点とも重なるのですが、自ら終わりの時期を明言してしまうと、議会や役所職員に対する発言力が落ちるのです。次の任期でも議会に戻ってきそうであるならば、その議員の発言が庁内でも継続的に検討されるでしょうが、戻ってこないだろうと思われるのであれば、議会や職員としては曖昧な答弁でやり過ごそうという雰囲気が出てしまう可能性があります。もちろん、全ての議会や職員がそんな対応をする訳ではありませんけどもね。
また、私が常に頭の念頭に置いている言葉のひとつにウェルギリウスの「運命は勇気あるものを助ける」というものがあります。一般論として、人間は戦う気力のある者に惹かれる傾向があります。1つ前の記事にも書きましたが、リーダーシップ論としても理に適っており、弱さを見せることは、支持の低下に繋がります。政治家にどこまでリーダーシップが求められるかはさておき、党の代表とかそういうレベルではなくとも、いち地方議員も、地域の代弁者という意味では、ある種のリーダー的素養は求められると言えるでしょう。地方議員であっても本質的には弱さは見せてはいけないのだと思います。例外があるとすれば、弱さを武器にするケースですね。例えば、あくまでも人間的尊厳においては平等ではあるとは思いますが、障害者は社会的・構造的には弱者にあたると思います。障害を持った議員がいたとして、当事者目線からバリアフリーを推進しますと主張すれば、それは寧ろ障害という弱みを立派な武器にしている素晴らしいことでしょう。
さて、様々な選択肢の中に、「自殺」という言葉をいれました。「弱さ」という観点、「他者が感化される社会的懸念」という観点から書くべきかは悩みましたが、初めての選挙に出馬するという検討する時期からほぼ毎日のように考えているので自分の思考整理のためと、極めて私的な内容とは言え一周回って公益的にも有用な側面もあると考え、敢えて明記しました。先ほども述べたとおり、自殺という言葉は、選挙に出馬する前から考えている言葉であり、政局や支持率がどうだとか、何か後ろめたいことがあるとか、そういう意味ではありません。あくまでも純粋なキャリア形成の観点から、落選したらどうなるの、政治家引退したらどうなるのという話です。
政治家って人生詰みの仕事なのだと私は考えます。私が企業経営者や採用担当者だったら、元政治家・元出馬経験者を雇う際に、政治色が強いのではないか、主張が強いのではないか、すぐに辞めて出馬すると言い出すのではないかと警戒するところから始まります。そういった観点からすると、会社に雇われるという方向性での転職は結構キツイです。政治家というキャリアは履歴書を強烈に汚すものです。なお、参考までにネガティブなことばかり言っても仕方ないので、元政治家が転職において評価されやすいポイントを述べるとすると、次の5点ではあります。
①様々な立場の人(住民・行政・企業)と交渉・調整できるコミュニケーション力。
②法制度・補助金・行政手続きの構造に詳しいという政策理解力。
③地元自治体・議員・企業・団体との関係などの人脈。
④SNS・広報・スピーチなどの経験などの発信力。
⑤地域課題に対する問題解決能力。
地元活動しているので、頭を下げたらいざとなったら多分雇ってくれそうなところは、一応幾つか心当たりはあります。ただ、頭を下げること自体を厭う訳ではありませんが、それは善きことなのか、中々の難問なのです。
では、人脈を利用せずに転職活動をしたらどうなのか。実は私は、面接突破力が弱いのです。数年前は、転職活動で大分苦労しました。そして、議員になっても就職活動のようだと比喩できる婚活においても大分苦戦しております。ここから推察するに多分私の面接突破力は上がっていない。一応、ITインフラ業のスキルもあるといえばありますが、ガチガチの上級エンジニアでもないので、39歳ならまだしも、任期を終える再来年40歳を超えた場合は4年間のブランクも加えて中々厳しいことになるでしょう。これをこれまで3年間ほぼ毎日シミュレーションしてきましたが、キャリアとして詰んでいるのですよ。現状のまま無職になった場合、生活保護は対象外でしょうし、食いつなげないとなったら、行き倒れるしかない、だったなら自分の少しでも望むタイミングでという感じになります。
もちろん、仕事を選んでいると怒られれば確かにその通りです。しかし、個人的に手伝っていた会社で、キャッシュが枯渇して家賃保証会社に社員の代わりに謝ったり、それどころか自分への報酬も遅滞がざらという状況を経験するとどこにでも入れば良いというものでもないと思います。その余波で自分も、パスタや米なんてぜいたく品、百均で買った小麦粉を水で溶いてフライパンで焼いて生活したり、奢ってやるから新橋まで来いよと言われたとき、その交通費があればカップ麺が数食買えるのにと思った時期を経験したりしました。勤め先というのは、本当に何でも良いという訳にはいかない。私が最後の最後まで出馬すべきか否か悩んだ理由は幾つかありますが、そのうちのひとつは、このイグジット戦略が明確に描けていない点でした。
まとめますと、投票先としてふさわしいという観点ではなく、本当の意味で政治家に必要な資質は何かと問うならば、「生き残る意地汚さ」だと思います。当人からすれば終の仕事としては悪くないのですが、未来ある若者が出馬を検討する際は、一生政治家であり続けるのか、落選・引退したらどうするのかイグジット戦略はきちんと構築してから出馬するべきでしょうね。また、今回は政治家ということで書いていますけど、世の中には政治家に限らず、「人生詰みの仕事」は幾つか存在するので、そういう仕事に取り組む際にも参考になると思います。
ちなみに私が、自身の婚活もめげずに続けているかというと、人生が詰みかけたとき、生きることに対するグリップが欲しいからですね。そういった意味では私は自殺志願者ではありません。流石にここまでお見合い相手に面と向かっていると100%フラれるのは確定なので、お見合い中は言わないですけど。






