政治家のやる気がなくなるとき。〇万円の壁編

103万円の壁とか話題になり、国民民主党の示す額に対して自民党が色よい返事をしないみたいなことが昨年11月以降ニュースでよく取り上げられています。その是非はともかくとして、自民党は何故動かないか、ジリジリしている人も少なくはないかと思います。場合によっては、官僚の言いなりだと怒っている人もいるかもしれません。そういった声が大きかったとしても、簡単に自民党の政治家はその声にYesと答えません。自民党の政策が正しいというつもりはないですし、正直な話、区議の私でも報道以上のことは知りません。むしろ内部事情を知らないからこそ、「〇〇円の壁で保守的な立場にいる政治家」がどういうことを考えているのか勝手に推測してみました。

普通に選挙に勝つのであるならば、国民に対して優しい政策を次々打ち立てていくことが分かりやすいと思います。いわゆるポピュリスト的な政策を主張した方が耳障りはいいですし、国民のために政治をやっている感が強くなるのは実情です。ただ、責任政党になってしまったからには、予算は無限ではないことに気づかされるのであって、限られた財源の中でどうするかは、非常に難しい問題です。国債を増やせばいいじゃん派の人もいますが、増やすことでのデメリットやコントロールの仕方についても考える必要はあるでしょう。実際に維新は、昨年の衆議院選挙で社会保障改革を公約に掲げ、現役世代の人の負担を減らし、逆にそのデメリットとして一部の人の負担を増やすことを白昼堂々掲げた結果、その一部の人たちから強いお叱りを受けました。選挙でぼろ負けの要因のひとつになったのは事実です。

ところで、官僚の友人に「官僚って、本音では増税したいの?」と聞いてみたことがあります。友人の返答としては「やりたくない。だって自分の手取りが減るのは嫌だ。でも、国のことを考えるなら嫌でもそうしないといけない」とのこと。確かに税金が増えたからといって、官僚個人の懐状況が良くなるどころか、マイナスになる訳ですからね。また、政治家だって同じです。「増税して、バラマキ等そのお金を何らか形でコントロールして、票を得る」ことのできる政治家はごく一部であり、増税そのものは、多くの国民と同様に多くの政治家自身をも苦しめることになります。自分個人の幸福を追求するのであるならば、普通に考えて、多くの政治家だってやりたくないのです。

本音としてはやりたくないことをやっているのに、その感情を呑み込み、「そのやりたくないことに意義がある」と主張し続けてバッシングを受けまくっているのが、矢面に立っている人の実情だと推測されます。個人的には、矢面に立っているの人の政策に対し思うところはあるものの、その立場には心から同情します。

そして、自民党側から見て、タチが悪いのは、「〇万円の壁」が動こうが動かなかろうが、国民民主党の加点要素にしかならない状況であるということです。動かなかったら、もしくは少ししか動かなかったら、自民党は悪なので国民民主党もっと頑張れとなります。大きく動いたら、国民民主党のお陰で動いたと評価される一方、そのために発生したデメリットによって自民党は詰められる訳です。ヒートアップしている界隈はその努力をみちゃくれません。あくまでも勝手な推測ですが、ここの天秤で、現時点では動かない方がまだマシだとなっているのかもしれません。

そして、この天秤を気持ちよく動かすことが本来の対決より解決だとも思います。そういった意味だと、国民民主党がなすべきこととしては、「国民のための政策を実現するため」に他党にいかに花を持たすか工夫することが必要な戦略ではないかと思います。もしくは政策実現を一旦先延ばしにし、先に自民党を再起不能にした上で単独政権を取って政策実現するかですね。誤解のないように補足しますが、これはあくまでも政策実現をさせるための合理的手段であって、双方とも本質的には、国民のために全力を尽くすのがあるべき姿だとは思います。

ここまで傍観者的な書き方をしましたけど、じゃあ維新はどうすべきなんだと問われると、いち個人として党略を考えるならば、現役世代の負担軽減路線に協調しながらも(ここで成果を出しても国民民主党のポイントにしかなりませんが、それでも)、基本的に独自路線で次世代への投資政策も同時並行で強く打ち出した方が吉だと思いますね。いずれにしても、本質的には、国民のために全力を尽くすのがあるべき姿ですね。

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